宗教哲学

仏さんにお願いしとき

投稿日:2020年5月31日 更新日:

この年になって、小さいころ母がよく言っていた言葉を思い出すようになった。それは「仏さんにお願いしとき」という一言だ。

子どもの頃、飼っていたカメを死なせてシュンとしている私を見て、母が「仏さんにお願いしとき」と言った。それで何か解決するわけでもなく、元気を取り戻せるわけでもないのだが、その一言は私に、持て余すような悲しみも委ねていい相手があるということを教えてくれたような気がする。子どもだった当時の私にそれが理解できたということではもちろんなく、今になってようやく、それは泣いている背中に添えられる手のぬくもりのように感じられるのである。

結局私が、キリスト教信仰の中に見出している神の慰めは、この「仏さんにお願いしとき」ではないだろうか。幼いころに聞いたこの一言は、今思えば、人生における「どうしようもないこと」を引き受けてくれる何かがあることを私に意識させ始めてくれた最初の言葉だったのかもしれない。

大人になって地方で暮らすようになったある年の夏、久しぶりにクルマで帰省した。休憩がてら途中にある河原に立ち寄った時、沢で小さなカニを見つけた。素手で捕まえ、その辺に落ちていたプラスチックの容器に沢の水や小石とともに入れた。私は子どもの頃に戻ったような楽しさを感じ、そのまま容器の中のカニを実家まで持ち帰った。ところが6時間ほどの長距離ドライブの間にカニは弱り、家に着くころには息絶えてしまった。いい年をしてかわいそうなことをしてしまったと、これまた子どものように情けない思いに浸っている私に年老いた母が微笑みながらかけた言葉は、30年ぶりに聞いた「仏さんにお願いしとき」だった。

――仏さんにお願いしとき。

この言葉は、子どもだった私に二つの大切なことを教えてくれたと今では思っている。一つは、人生には人間の力で「どうしようもないこと」があるということ。そしてもう一つは、それが「どうしようもないこと」だからこそ、人間はそれを受け止めてくれる存在を必要とするということ。これこそ宗教の到達せねばならない一つの境地ではないかとさえ思う。今思えば、この一言は私の宗教心というか霊性に大きな影響を与えたと思うし、私がこれまでキリスト教を通して学んできたのは、この「仏さんにお願いしとき」という言葉の背後にある(私にとってみれば)神の慈しみに対する全幅の信頼ではなかったかと思っている。

雨の公園 たんぼ

その母に突如がんが発見され、あとわずかの命だと突然医者から告げられたのは、もう2年前のことである。しかし、ありがたいことに痛みがなく今も往診を受けながら自宅で療養している。

私は母のことも「仏さんにお願い」しておこうと思う。

-宗教哲学
-, , , ,

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

洗礼を受けた

わたしは、洗礼を受けるかどうか、受けていいものかどうか、その日、病院のベッドで天井を見つめながら考えていた。 曽祖父が僧侶であった。そして小さい頃から仏壇を大切にする家庭的雰囲気で育ってきた。線香を灯 …

喪失

月命日が来るたび、失くしたわが子の墓参りを何十年も続けてきたという男性に出会った。もう80代になっていただろうか。また、別の70代くらいの女性は、片道1時間ほどかかる道のりを毎日歩き、亡き夫の墓掃除と …

マヨネーズを買って日が暮れる

夕暮れのあぜ道――。 小さい女の子がお父さんと手をつないで帰っていく。 遠くに小さく見える二人の後ろ姿。その向こうにはこんもりとした低い山。そのふもとの鳥居。どこまでもノスタルジックな里山の夕景――。 …

雨の降る造成地

もうずいぶん前のことになるが、ある人を見舞いに行った帰り、妻と西宮市郊外のレストランに入った。窓からは緑の田畑や空き地、少し向こうには遠く三田の町並みが、小雨に濡れて少し霞んで見えていた。見下ろせば住 …

駄菓子屋とおばあちゃん

家の3軒となりに駄菓子屋があった。竹トンボやメンコやリリアンなどが置いてあり、甘辛いタレをたっぷり付けた「いか串」も、丸くて大きな蓋のついたプラスチックのケースに入っていた。何本も束ねたひもの先にいろ …

プロフィール

雨の公園 プロフィール

はじめて絵を描いた記憶は幼稚園の冬休み。カエルを描いて園に持っていくと、友だちから「雨の公園くん、お正月のお絵描きなのにカエルを描いてる」と笑われたので鮮明に覚えている。

高校の時つけ始めた日記の端に好きなアイドルの絵を鉛筆で描きうつす。これが私にとって“線”でなく“陰影”のみで描いたはじめての鉛筆画となった。日記は大学に入る頃まで7冊ほど書き溜めた。

自分の入院の経験を生かして描いた漫画『文化祭の夜』が小学館ヤングサンデーの新人増刊号の最終選考に残るもギリギリ掲載には至らず。生まれてはじめて漫画雑誌の「編集者」と呼ばれる人と出会う。

大手出版社から絵本を2冊商業出版するも絵で食べていくことは断念する。時を同じくし、大阪ミナミの戎橋(通称「ひっかけ橋)で路上似顔絵を描きながら大学院で旧約聖書の『ヨブ記』の解釈についての論文を書き、修士号を取得する。

☆ ☆ ☆

好きな絵かきさん
ギュスターヴ・カイユボット、紡木たく

好きな作家、文筆家
室生犀星、藤木正三

人物

風景その他