書評 絵のこと、芸術のこと

紡ぎたく『瞬きもせず』第1巻

投稿日:2020年7月5日 更新日:

この1ページ目から音が聞こえる。夏のクラブの練習日。金属バットのノックの音。フェンスのこちら側は木陰になってて、向こうの広い校庭はあふれる光でまぶしくて見えない。球児たちの自転車か、その他の生徒たちのものか、無造作に置かれた自転車が木陰に肩を寄せ合っている。たぶんこの自転車で、みんなでパンを買いに行ったり、川原に遊びに行ったりするのだろう。

この最初の一コマを黙って見つめているだけで、生徒たちの笑い声が光と蝉しぐれの中に包まれて聴こえるような気がする。

次のコマはのんびりした田舎の山と空。見通しのよい道路に沿って高いフェンスが張られてあり、描かれていなくてもそこにグランドが広がっているのだろうということがわかる。運動部の男子が一人走り込みをしている。

蝉の鳴き声。

近所の田んぼでは草引きをしているおじさん。

麦わら帽子。


部活終わりで顔を洗う。汗がまつ毛についてキラキラしてる。
校庭から校舎に入ると、そこはしんとして、ひんやりしてる…

そういう、すごく小さなことを、大人になっても忘れない出来事として、やさしく丁寧に描き切る。

かよの髪の毛の柔らかさとか、Tシャツをまくり上げた紺野くんの肩の筋肉とか、そういう「ちょっとしたこと」をどこまでも大切にする。本当にこの本を買ってよかったと思った。

誰もが自分の高校時代に感じていたような切なさやもどかしさを、
この時代にこの場所でしか出会えなかった人たちの一回きりの物語にして描いた。

山口弁。


この本を読んで生れてはじめて自分の使う方言(わたしは大阪弁)よりも好きになる方言ができた。

(第2巻につづく)

-書評, 絵のこと、芸術のこと
-

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

『夏の花』 原 民喜

私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。(中略)その花は何といふ名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかつた。(本文より) 深い悲しみが、静かで節度を持った言 …

no image

『ゴッホの手紙』

大学の神学部に籍を置きながら、週末は大阪・ミナミの戎橋(通称『ひっかけ橋』)で、路上似顔絵描きをした。キリスト教を学んでも牧師になる気持ちはなく、ただ人が死んでいくことの不条理を、神への信仰とその安ら …

紡木たくについて

その日、雨が降っていてとくにすることもなかったので本屋に出かけた。目当ての本はなかったが、ぶらぶらと本棚を見て回ることはとても心地よかった。 1~2冊の新書を手に取ってレジに向かう途中、漫画本が平積み …

no image

「こいぬ」とかなしみ~絵の話

 「義兄は絵が上手だ。ものの形や表情をちゃんとつかんでいる。しかし、何だろう。じーんとは来ない。きっと、絵を描いているからで、自分を描いていないからだ。」(早川義夫著『たましいの場所』(ちくま文庫)よ …

紡木たく『瞬きもせず』書評その後

前回の第1巻の冒頭について書いてから、しばらく続きを書けていない。まずは仕事が鬼ほど忙しいこともあるが、結局「書評を書くために再度読む」ことがいやなのだ。 紡木たくの世界――とりわけ『瞬きもせず』の世 …

プロフィール

雨の公園 プロフィール

はじめて絵を描いた記憶は幼稚園の冬休み。カエルを描いて園に持っていくと、友だちから「雨の公園くん、お正月のお絵描きなのにカエルを描いてる」と笑われたので鮮明に覚えている。

高校の時つけ始めた日記の端に好きなアイドルの絵を鉛筆で描きうつす。これが私にとって“線”でなく“陰影”のみで描いたはじめての鉛筆画となった。日記は大学に入る頃まで7冊ほど書き溜めた。

自分の入院の経験を生かして描いた漫画『文化祭の夜』が小学館ヤングサンデーの新人増刊号の最終選考に残るもギリギリ掲載には至らず。生まれてはじめて漫画雑誌の「編集者」と呼ばれる人と出会う。

大手出版社から絵本を2冊商業出版するも絵で食べていくことは断念する。時を同じくし、大阪ミナミの戎橋(通称「ひっかけ橋)で路上似顔絵を描きながら大学院で旧約聖書の『ヨブ記』の解釈についての論文を書き、修士号を取得する。

☆ ☆ ☆

好きな絵かきさん
ギュスターヴ・カイユボット、紡木たく

好きな作家、文筆家
室生犀星、藤木正三

人物

風景その他