ひっかけ橋での鉛筆画似顔絵パフォーマンスは回を重ねるたびに客がつくようになった。いろんなところから観光客や買い物客が集まり、ときには、フライト間の休暇で立ち寄った外国の航空会社のCAさんたちや、Vリーグの女性プロバレーボール選手も客として前に座ってくれた(前回書いたが、非番の警官も描いた)。寒い日などはお客さんが缶コーヒーを差し入れてくれたり、旅行中の大学生たちなんかが座ると話が盛り上がって笑いが絶えなかった。
山口県から観光に来ていた若いカップルが座ってくれたが、彼らの山口弁がかわいく、わたしが紡木たくの『瞬きもせず』の話をするととても喜んでいた。椅子の所に置いてたお客さんが残してくれるコメントノートにたくさん「山口弁」を書いてくれた。このノートには「いつか個展をする時があったら必ず連絡してください」とたくさんの人がメールアドレスを書き残してくれているが、結局個展などしたこともない。
(あのノートどうしてしまっただろうか。あれから7回ほど引っ越したから、どこにしまったかわからなくなってしまった。絵の道具と一緒にしまってあるかもしれない。この4月からブログやYouTubeで15年ぶりくらいに絵を再開したから、もしアドレスがわかったら伝えたい。)
ある日、夕暮れになると、一人の50歳くらいの女性が来て似顔絵を描いてほしいと言った。手に缶ジュースか缶酎ハイを持っていた気がする。そしてこちらが尋ねる前に自分は「がん」なのだと告げた。今日、医者にそう言われたのだと。それでそういわれた自分がどんな顔をしているのか知りたくて描いてほしいのだと言った。
見たところ、病気だと言われなければそんなことはわからなかった。お芝居か何かを見て帰るところの、どこにでもいる普通の女性といった感じだった。自分のその時の置かれた状況について誰かに言いたかったのだろうか。その場限りの出会いの人に。わたしも以前大きな病気をした(このシリーズの①で少し触れた)ので、病気によって自分の人生や日々の生活、これからの未来が土台から大きく揺さぶられる気持ちを想像した。
と言っても鉛筆画のレベルが変わるわけではない。私は他の人の顔を描くのと同じようにその女性の今の表情を描き、手渡した。女性はしばらく何も言わず、微笑みながらその鉛筆で描かれた自分の顔をまじまじと見つめ、料金を払って帰っていった。
また別な日の夕方、すこしあか抜けた雰囲気の、めちゃめちゃかわいい女の子がお客さんがついた。聞くと化粧品会社の美容部員としてこの春に就職したらしい。大阪へはその会社の研修で何日間か来ているところだと言った。言葉のイントネーションが関東なので、どこから来たのか聞くと愛知県の豊橋市と言った。いつも語尾が「じゃんねえ」となるので、聞くと、愛知県でも三河(静岡側)のあたりは語尾が「~じゃんねえ」となるのだといった。かわいかった。彼女とは2回食事に行ったが名前も忘れてしまった。
福井県から遊びに来ていた男子大学生3人組がいた。3人まとめて描いてくれという。ややめんどくさかったが気のいい大学生たちだったので描いてやることにした。
描いている最中も、彼らは大阪のイメージとか、大学生活とか、3人の間柄なんかについて面白く話してくれた。気のいい大学生というのは何時間しゃべっていても盛り上がるし楽しい。二人書き終わったところでもう30分近く経っていた。3人目の顔はぜんぶ描かずに上半分だけ描いたところ、それだけであまりに似ていたので途中で止めて見せてみると、本人以外の二人は爆笑していた。
それ以上描かない方が似ているし面白いだろうと、あとの二人はここでやめることを提案したが、本人はやや不本意そうなので、せっかくの大阪旅行の記念だしちゃんと最後まで描いてあげることにした。しかし、顔の上半分で止めておいた方が似ていたと今でも思う。
その日の最後には、これまた20代半ばくらいのきれいなOLさんが座った。じつは彼女は2回目のお客さんだった。前に描いた時、けっこう上手く(かわいく)描けたと思ったが、本人からすると少し「幼く」見えるのだそうで、もう一度「大人っぽい」自分を描いてほしいと仕事帰りにまた立ち寄ってくれたのだった。
がんばってリクエストに応えようとしたが、結局彼女の場合、どう描いてもなんとなく幼くなってしまう。黒目がちの大きい瞳だったので、その彼女の魅力を描いてあげようとするとどうしても幼く見えてしまう。途中でちらっと見せると彼女はやや不満足なようだったが、それが他人から見える(絵かきから見える)自分の顔なのかとあきらめたようだった。
その夜は少し風が強まってきた。台風が近づいているらしかった。ひっかけ橋にはグリコをはじめとした数々のネオンが煌々と点り、多くの人が行き交っていた。客足も好調で、大勢の見物人に取り囲まれて遅くまで描き続けた。
その時誰かが、「あ、ホタル」と言った。
すると周りの人たちも一斉に歓声を上げた。私たちも視線をあげると小さな緑のともし火が音もなくすうっと舞い降りてきて、私の画板の上に止まり、またすぐにどこかに飛び立っていった。
ほんとうに一瞬の出来事だったが、そこにいたみんなが、なんだか幸せのしるしをもらったような、ちょっとした特別感を共有したような雰囲気になっていた。
夜になって風は一段と強くなった。翌日の午後には関西にも暴風圏に入りそうだった。わたしは終電ギリギリまで描いて、その時住んでいた西宮のアパートに帰った。台風の夜って、子どもの頃からなんだか不思議なワクワク感があった。翌日はゆっくり休もうと思った。
夜遅く、あの大人っぽく見られたいOLさんから「明日、風で飛ばされないでくださいね」とメールが来た。