最初のページにはじめて書いたのは、クラスの友人2人が泊まりに来た次の日、思い立って神戸のポートピア博覧会に遊びに行った時のことだったと思う。新しい学年になって新しくできた友人と遊んだポートアイランドでの一日は、それはそれは楽しかった。でも最初のページに書いたのはそのことではなかった。少なくともポートピアがどうだったとか、どんなパビリオンに入ったとか、そんなことを書くつもりはなかった。出来事を「報告」しようとするから続かなくなるのだ。
わたしは、友人とポートピアに行った日の夜に、なぜ自分が日記を書き始めようと思うようになったのかという心情的なことを綴っていた。
書いていると、なんだか時間がすぐに経った。高校時代の友だちと話していると、あっという間に時間が経ってしまうように。それと似た感覚が日記を書いている時にはあった。実際のところ、友人とは何時間話していても話すネタがなくならない。一晩中話し続けても話することがあるなというくらい会話が途切れることはない。もちろんその間に音楽を聴いたりすることもあって、その間くらいは黙っているのだが、曲が終わるとすぐにその感想を言い合うことになる。この曲はつまらんとか、自分には理解できない、とかいうことも含めて、テープを止めて20分でも30分もしゃべってしまうのだ。
そうやって友人とのおしゃべりが終わらず、そのままエンドレスで互いの家に泊ってしまうことが時々あったとしても、やっぱり終わりの時間は来るわけで、スマホもSNSも存在しなかった当時は、夜になれば誰にも電話もできないから、必ず友人から切り離されて自分一人になる時間がくる。
そんなとき、日記をつけ始めたことは大きな意味があった。昼の友人とのおしゃべりの続き――その時言い忘れたことや言いそびれたこと、あえて言わずにおいたこと――を、今度は紙でできている夜の友人にわたしは毎日打ち明けたのだった。
こうしていつしか日記は、わたしの無二の親友と呼べる存在になっていった。わたしには、何でも話せる友だち、恋愛や進路のことなど一晩中話し続けられる友人が何人かいたが、なぜか彼らのことを「親友」とは呼ばなかった。「親友」という言葉を使うのが嫌いだった。いや、もう少し正確に言うと、「親友」という言葉を自分の友人関係に当てはめて呼ぶことが嫌だった。たぶん、そういう言葉によってカテゴライズされること自体が嫌だったのだと思うし、親友という言葉から匂う「作られた美しさ」のようなもの、「偽善のようなもの」に、自分たちの関係を当てはめられたくないと強く思ったからに違いなかった。
でも、この日記だけは「親友」と呼んでもよいような気がした。というのは、日記というのは他人ではなく「自分自身」であり、「親友」という言葉の中に含まれる他者に対する多少の偽善や美談を意識する必要が皆無だったからだろう(だからこの日記には偽らざる自分の姿があり、わたしが死んだら一緒に棺桶にいれてほしいと願う)。
いずれにせよ、わたしは日記と出会うことで、「人間の友人」の他に「紙の友人」ができたような気持に、今思い返すとなっていたと思う。一人になる夜の時間もまるで友だちと過ごす時間のように――いや、自分自身をさらけ出せるもっと気の置けない友人と過ごすように――濃密な時間を過ごしたと思う。今ふと思ったのだが、わたしは高校3年間で非常に成績が落ちた。入学時はまだトップから数えた方が早かったと思うが、卒業近くなってきたときには、学年で相当下の方だった。その原因はおそらく「日記」を書く時間が私にとって充実しすぎていて、勉強のために時間を割かなくなってしまったからではないかと思う。勉強する時間を削って、たぶん部屋で日記を書いていたのだ。この点では私に日記を書くことを勧めたYを恨む。
ずいぶん前に、この日記を読み返してみたことがある。すると、ほぼ毎日更新される日記も、高校3年の6月くらいから、急にぱったり途絶えている期間がある。なぜここだけこんなに日が開いているのかというと、実はその時、生れてはじめて彼女ができて、毎日がすごく幸せだったからだ。
その子には、高校3年生の春に出会った。はじめてしゃべったことや、そしてその子から学校の遠足のおみやげに小さなキーホルダーをもらったことなど、ささいなことが初めのうちは日記に事細かく書いてある。そのキーホルダーの絵が描いてあるだけでなく、そのキーホルダーを入れてあったみやげ物屋の包み紙まで貼り付けてあった。よっぽど嬉しかったんだなと思う。というか、嬉しかった。
そういう日がしばらく続いて、6月半ばころから日記がぷっつり途切れる。その頃から付き合い始めたのだった。付き合い始めて幸せだったのだ。日記を書くより、夜遅くまでその子と電話で話している方が楽しかったのだ。彼女から「きのうお母さんに怒られた」と言われるほど長電話しても話したりなくて、電話でしゃべり尽くせなかったことをなおも手紙に書いて翌日手渡しあった。
幸せな日々は、日記に書くことを奪う。
届かない想いとか、伝えられない気持ちがあるから、それを日記に聞いてもらうのであって、いちばん伝えたい人に伝えられる、そんな環境の中で日記を書く必然性があろうか。そのようにして「親友」であるはずの日記は、いつの間にか、彼女にその座を明け渡し、しばらくほっぽり出されることになったのだった。
そうして夏を迎え、その夏も終わりを迎え、少しずつ日が短くなり、制服が冬服に代わる10月ころ、ノートには再び思いが綴られはじめることになるのだが、それはまた次回に書くことにする。
(つづく)