日記が復活したのは、彼女にフラれたその秋ごろからである。
未練たらたらに彼女のことばかり考えてしまい、それでも昼間は友人としゃべったり気持ちを聴いてもらったりして――友人はいい加減うんざりしていた――少しは気がまぎれたが、夜になって家で一人になるとどうしてもそのことばかり考えてしまい彼女の存在が心の中でぐるぐると回り続けた。
その時に、本当に助けてくれたのが日記だった。夜一人になって、友人とも話せず電話もできない時間になると、わたしは部屋に籠って日記を書いた。自分の悪かったところ、でも、そうせずにはいられなかった気持ち、言い訳、未練、後悔――この後悔が苦しかった!――そんなことを書き綴った。
この頃の日記に、親戚のおじさんが遊びに来てうちの父とお酒を飲んでいた時のことが書いてある。わたしも高校生ながら少し付き合って枝豆などを摘まんでいたように思う。
おじさんは唐突に言った。
「初恋っちゅうのはな、絶対うまくいかんのよ。」
なぜおじさんが急にこんなことを言ったのかわからない。おそらくその直前の話題が男女や夫婦仲についてことだったのだろう。このおじさんがわたしが傷心であることなど知るわけもなかったが、突然そんなことを言い出した。そして「きみのお父さんなんか見てみいや、惚れていつもおしりを追いかけてた彼女とはうまいこといかんかったもんな」などとオヤジをイジっていた(うちの母とおじさんが兄妹で、なおかつ父も、若い頃からおじさんと同じ職場だったことがあったらしい。それで昔はよくつるんで飲みに行ったりもしたらしい。おじさんが来て飲み出すと、毎回父はそうやって若い頃の話を肴にイジられていたが、それはそれで楽しそうだった)。
「ふ~ん、そうなん?」
と、わたしは初恋は実らないことをまったく気にも留めないような「そぶり」で聞き流し、枝豆をいくつか手に取って部屋に帰った。そして、おじさんが言った「初恋の人とは絶対にうまくいかん」というセリフを頭の中でリフレインさせていた。
それだったら出会わない方がよかった、なんで今出会ってしまったんだろう、出会ったことにも意味があったのだろうか、こんなに苦しいなら最初から出会わなかった方がよかったのか…。そんな、読んで恥ずかしくなるようなことも、等身大の自分の言葉で、止められない勢いでノートに書きつけ続けた。そして、彼女と出会うのがもっと大人になってからだったらよかった、もっと自分が大人になって、人の気持ちももう少し考えられるようになって、人間関係のこととかももっと考えるようになって、それから出会ったらよかった、などとあふれ出てこぼれてしまう、といって誰も取り合ってはくれないような行き場のない気持ちを、日記だけがその受け皿になって受け止め続けてくれたのだった。
そうやって高3の秋から再び日記のページが進み、受験勉強をしなければならないのに日記もやめられず、結局、彼女はおろか志望校にもフラれて一浪して翌年の受験が終わる頃まで、だらだらと書き続けることになるのだった。
文章は稚拙で(今もそうだが)、自分の感情を一方的に書きなぐっているだけなのだが、わたしにとってそれは、今読み返してもおもしろい物語でありエッセイである。油断しているうちに、忘れていっていることにも気づかないまま記憶から消えてなくなってしまうはずの、本当にささやかな日常の機微やそれに一つ一つ揺れ動いた自分の幼い感情は、日記に書きとめられることで結晶化し、わたしにとっては宝石のような宝物になったのである。
そういえば、例の彼女が言ったこんな言葉を覚えている。それは、2人がまだ仲の良かった日に、わたしが彼女に何気なく言った一言に対して、彼女が気持ちを手紙に書いて渡してくれたものだった。
「昨日、雨の公園くん、わたしに『俺らいつか別れる日が来るんかなあ』って言ったでしょ? それを聞いてすごく悲しかったけど、後になって一人でいろいろ考えて、そして思ったことがあります。それは、やっぱり人って、どんなに好きでも、いつか別れてしまったらその人のこと忘れてしまうのかなあってことです。わたしは今、雨の公園くんのことがすごく好きだし、別れるとか、そんなこと絶対に考えたくないし考えられないけど、でも、それでももしいつか別れる日が来たら、わたしは雨の公園くんのこと好きだったってことも忘れてしまうのかなあ。今はそんなこと絶対いやだって思うけど、それをいやだって思ってたっていうことも忘れてしまうのかなあ」
話は100万光年ほど飛ぶが、わたしはこの言葉を、今、人間の深い宗教的心情において思い起こす。人はどんなに大切なことも、忘れていく。完全に忘れることはなくても、その一つ一つの細部は忘れていく。その体験がなければその人自身にはならなかったような出来事さえ、人はいつかは忘れていく。忘れたいことも、忘れたくないことも。忘れてはならないことも。よくもわるくも。
たぶんわたしは、数えきれない「思い出しもしないこと」によって存在しているのだろう。彼女のあの一言を今も忘れないでいるのは、それを彼女が手紙に書いて残してくれたからだ。今はその手紙もどこに行ってしまったかわからないが、それでもあの時手紙でもらっていなければ、書きとめられることのなかったその他の数えきれない会話のように、今となっては完全に雲散霧消していただろう。「そんな会話をしていたんだということさえ思い出さなくなっていた」に違いない。
はなしを100万光年もどそう。
この、わたしにとって宝物のような日記も、そうやってたまたまYの勧めで書き留めておいたことで、わたしは高校時代の心のヒリヒリやワクワクやドキドキやチリチリの多くを、文字として保存して時々取り出して眺めることができたのだった。
しかしこの日記も、大学生になる頃から書かなくなってしまった。
たぶん、大学生になって「自由になった」からだと思う。
アルバイトが自由にできるようになった。
友人と旅行に行くことができるようになった。
煙草も、お酒ものめるようになった
――もっとも、高校時代もわたしはそういうことはしていたが、高校時代は「隠れて」せねばならなかったことが、堂々とできるようになった――。
バイクの免許も車の免許も取ることができた。
大学の講義など行っても行かなくてもよかった。
そこでわたしは、エンドレスで友人と時間を過ごすようになってしまい、日記と向き合う――つまり自分の心を言語化して外に取り出し、文字として定着させることをしなくなってしまったのだと思う。