高校2年生の時、クラスメートのYが「お前も日記をつけろ」と勧めてきた。聞くとYは3日前から日記をつけ始めたという。3日前からはじめたばかりのことをよくこれだけ自慢げに自信を持って人に勧められるなあと感心するが、この一言のおかげで私は、高校時代の、線香花火のように美しくそして瞬く間に消えていく日々を、ノートに書き記すことによって大切に保存することができたのだった。
私は小学校6年生の時に一時日記をつけてみたことがあって(たぶん親に言われて始めたんだと思う)、でも、今日は誰と遊んだ、何をして遊んだ、今日はおばあちゃんの家に行った、などということ以外に取り立てて書くこともなく、そういった一日の出来事さえもだんだんと書く意味も感じられなくなって1~2か月くらいでやめてしまった経験があったので、日記を書くということはどちらかというと面倒なことであり、Yの話をほとんど興味もなく聞いていた。
しかしYが言うには、日記と言っても今述べたような「出来事の報告」ではなく、自分が好きなこと、今はまっていること、誰かに聞いてほしいことなど、その時の自分の気持ちや考えを書いていくのだという。
Yにとってみれば、それは好きなロックのことであり、その中でもとくにはまっているレッド・ツェッペリンのことであり、さらにはそのメンバーであるドラマーのジョン・ボーナムのことであり、そのドラム・ソロの素晴らしさや生き方の破天荒さのことであり、そして大ファンだった伊藤つかさのこと(ツェッペリンとどう結びつくのか最後までわからなかった)、テープが擦り切れるほど聴いた大貫妙子のシニフェ、カイエというアルバムの音楽性こと、同じクラブの先輩の好き嫌いのことであり、そういう、まあ言ってみればこうやって友だちの家に来てコーラを飲みながら何時間でも居座り続けてしゃべり続けているような話題を、一人になった時にずっとノートに書きなぐるのだという。
聞いているうちに、なるほどそれはそれでおもしろいのかもしれない、という気が少しだけしてきた。Yが帰った後(なかなか帰らなかったが)、机の引き出しか本棚のどこかにあった、それこそどこにでもあるような大学ノートを選んで、それを日記にしてみようと思ったのだった。(つづく)