わたしは、洗礼を受けるかどうか、受けていいものかどうか、その日、病院のベッドで天井を見つめながら考えていた。
曽祖父が僧侶であった。そして小さい頃から仏壇を大切にする家庭的雰囲気で育ってきた。線香を灯すこと、お土産をもらったらまず仏壇に供えること、そういうことは時に面倒くさくあったが、けっして嫌な習慣ではなかった。おりんの音の中に蝋燭の炎が揺れるさまを黙って見つめているのは、子どもながら何か神聖な気持ちになったものである。仏壇のある部屋は大好きな祖母のにおいがした。
キリスト教の洗礼を受けることは、自分を愛して大切に育ててくれた親や祖父母の気持ちを悲しませることのように私には思えた。洗礼式ではみな「おめでとう」と言うらしいが、聞くところによると洗礼とは家族の絆から離れて神さまとのつながりの中に生きていくことだそうだし、それはある意味、家族との精神的な意味での別れというか、あるいは信仰的な「巣立ち」を意味するうにも思われたので、どことなく「おめでとう」といわれるより、昔の元服を迎えるような凛とした感情が私の心にあったことを記憶している。それは、実家を離れて遠くへ嫁に出る娘のように、めでたい儀式の真っただ中で、誰にも言わずにただ心の真ん中に「別れ」の寂しさを仕舞っているという、そんな面持ちだったかもしれない。
洗礼を受けるべきか、受けざるべきか。
それはもちろん私が決定することではなく、神が呼ばれるかどうかだと、洗礼を受けた身としてはわかっているけれど、そう逡巡している病床では、私の心にはある一つの象徴的なイメージが浮かんでは消え、浮かんでは消えしていた。
それは――まるで奈良の若草山のような――お椀を裏返したようなこんもりした山の中腹くらいから、山の頂上を見上げている、そういう情景のイメージである。あたりの斜面には芝生(それも青々とした芝生ではなく、枯れたような薄茶色の芝生)が広がっており、ところどころに膝ほどの低木があった(ような気がする)。もう少しでなだらかな頂に到着するのだが、その少し手前で私は見えない頂上の向こう側がどうなっているのか想像している。
山の頂にまで登らなければ、向こう側の景色を見ることはできなかった。そこは分水嶺であり、向こうとこちらを視覚的に分断していた。登り切ったら向こう側が見渡せるだろうが、なんとなくこちら側とかわらない世界が広がっているような気もしていた。そして、信じるとはそういうことなのだろうと思った。向こう側が見える場所まで登ってみなければ向こう側が見えない。そして、向こう側を見たから歩く、と決めるのでもない。
その日私の心に思い浮かんでいた山はあまりになだらかであった。山というより低い丘のようだった。登ると言ってもたいした労力が要るようには思えず、あと数歩進むだけだった。そして、何度も言うように、登り切っても見える景色はさほど変わらない気もしていた。それでも丘の向こう側にも世界があることを知って見れば、こちら側の世界で生きるときも、なんだか呼吸が楽になりそうな気もしていた。
あれから30年が経った今、思い返していることがある。それは「山の向こう側が見えない迷い」の中で、その時はまったく意識されていなかったことなのだが、その枯れた芝生の山の中腹で、頂を見ていた私の心は決して不快ではなかったということだ。その日、空は晴れ亘り、暑くも寒くもなかった。芝生と土と低木だけが生えているなだらかな山で、そこにあった冷えた空気と、雲一つない突き抜けるような空があったことを覚えている。まるで春寒の凛とした静けさが体を包んでいるような、そんなあの日の病床であった。