もうずいぶん前のことになるが、ある人を見舞いに行った帰り、妻と西宮市郊外のレストランに入った。窓からは緑の田畑や空き地、少し向こうには遠く三田の町並みが、小雨に濡れて少し霞んで見えていた。見下ろせば住宅用に造成された土地があり、建物の建たないまま雑草だけが寂しそうに濡れていた。
子どものころ、家の周りにはこういう空き地や田んぼ、木材置き場、土の山などがたくさんあった。今から思えば、あれは工事用の土の保管場所だったのだろうか、近所の空き地に固められた盛り土がいくつもあって、友だちみんなと自転車で助走をつけては一気に登り、あとは思い切り滑り降りるという、単純極まりない遊びを飽きもせず繰り返した日々があった。
窓から見える造成地はなだらかな斜面になっていて、その下からは盛り土の反対側が死角になって隠されているように思われた。ところどころに生えているススキがさらにおもしろい死角を作っていて、子どもの背丈ならかくれんぼをしてもうまく隠れられるだろうと思えたし、オニの側も、足音を偲ばせて盛り土に沿って回り込めば、相手の背後からうまく近づけるような気がした。
朝から小雨が降り続いていたが、幼い頃はこんな日もきっと外で遊ぶのは楽しかった。子どもにとっては雨の匂いは新鮮だし、濡れて滑りやすくなった草の感触がおもしろかったり、路面がきれいだったり、ぶらんこの下に水たまりができていたり、それはそれで豊かな時間だった。
そういえば「コマおに」という遊びがあった。コマを回して手のひらに載せ、コマが回転している間だけ走ることができるという鬼ごっこだった。必死で追いかけて、もうあと一歩で捕まえられるというその直前、コマが止まってしまって逃げられたり、反対に、一刻も早く逃げようと焦れば焦るほどうまく紐が巻けなくて捕まってしまうこともあった。そういう遊びをしていると、転校してきたばかりのクラスメートともすぐに仲良くなった。
ぼんやり眺めていた目の前の造成地には、小雨に濡れながら走り回っている少年が見えるようだった。それはきっとあの頃のぼくだった。手にコマを持っていた。おしりに泥がついていた。嬉しそうに笑っていた。