家の3軒となりに駄菓子屋があった。
竹トンボやメンコやリリアンなどが置いてあり、甘辛いタレをたっぷり付けた「いか串」も、丸くて大きな蓋のついたプラスチックのケースに入っていた。何本も束ねたひもの先にいろんな飴が結びつけられていて、ひもを引くと、結ばれた飴が引っ張られてきた。
「いちご」の飴が欲しかったが、ひもを引くまでどの飴につながっているのかはわからないようになっていた。たいていは欲しくもないハッカの飴がたぐり寄せられた。一回1円とか、5円とか、そんな程度だったが、子どもたちは何やかんやと安いお菓子やインチキくさい景品を買って喜んでいた。
店の奥にはいつも背中の曲がったおばあちゃんがいて留守番をしていた。店を切り盛りするというわけでもなく、のんびりと店の奥に座ってお釣りを渡したり、景品を箱から出してきてくれたりした。当時はそういうおばあちゃんがよくいて、錆びた乳母車を押しながら散歩したりしていた。
ある日、友だち連れだって駄菓子屋に寄ると、「くじ」の箱が店先に置いてあった。10円のお菓子を買うと1回引くことができるとおばあちゃんは言った。二つ折りに糊付けされたくじを剥がし、当たりが出ると景品がもらえるらしい。
友だち何人かがそれぞれ10円のお菓子を買い、くじに挑戦したが誰一人として当たらなかった。おばあちゃんは最初ニコニコとその様子を見ていたが、しばらくすると用事でも思い出したのか、いったん店の奥に入って行った。
その瞬間――
一人の友だちがいきなり箱の中のくじを鷲掴みして取り出し、おばあちゃんが見ていない間に片っ端から紙を剥がしまくったのだ。大量に取り出したくじの中には一、二枚の「当たり」くじももちろん入っており、友だちはそれを持っておばあちゃんを呼び、得意げに見せて、景品をもらったのである。もちろん大量の「はずれ」くじは見えないようポケットに押し込んで。
その成功を目の当たりにした私たちは、みんな10円分の飴を買い、おばあちゃんが見ていない隙にくじを鷲掴みにして剥がしまくり、当たりを見つけては次から次に景品をもらいまくるというわるさをした。
人のいいおばちゃんは戸惑いつつ、しかし当たりくじを見せられているので言われるがままに子どもたちに景品を渡した。箱の中の景品も、くじの紙も、見る見るうちに無くなっていった。
「今日はもうおしまい。また今度にして」とおばあちゃんは困ったように言った。
みんな家に帰ったが、私の家は3軒隣りだったから、私はその後またすぐに駄菓子屋の前を通った。中を覗くと、おばあちゃんが店の奥で不安定な椅子の上に立ち、曲がった背中で手を伸ばし、棚の上の箱を何とか取り出そうとしている姿が見えた。あれは私たちが鷲掴みにして使い切った「くじ」と、大量にだまし取って足りなくなった景品の在庫を、老いた身で手を伸ばし棚の一番上から必死に取り出そうとしている姿に違いないと私は思った。
その時はじめて私は「悪いことをした」と思った。正義に対してではなく、おばあちゃんに対して…。おばあちゃんの曲がった背中に対して…。
その駄菓子屋がいつ閉店したのか知らない。いつのまにか店はなくなっていた。何がほしくてそんなズルをしてくじを開けまくったのか、その景品が何だったかさえ覚えていない。
ただ、あの日の午後、店の奥でおばあちゃんが椅子に立って棚の上に手を伸ばしていた姿だけがいつまでも心に残っている。