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「雨の公園」という名前のこと

公園の思い出はいくつかある。 実家の近所にもいくつかの公園があって、小学校の頃は近所に3つほど、少し足を延ばした隣町に2つほどの公園を「行きつけ」の公園にしてよく遊んでいた。 公園は子どもだった私には …

日記③

日記が復活したのは、彼女にフラれたその秋ごろからである。 未練たらたらに彼女のことばかり考えてしまい、それでも昼間は友人としゃべったり気持ちを聴いてもらったりして――友人はいい加減うんざりしていた―― …

その瞳を見ていると

その瞳を見ていると悲しくなった。悲しくなるのに目が離せなかった。あれは15歳のときだった。 高校に入学して学校にも少し慣れてきた6月のある平日、ぼくたちの高校は創立記念日を迎えた。平日に堂々と学校を休 …

印象 雨の鉛筆画

1996年、奈良県立美術館で開催された「印象派の巨匠展」で出会った一枚の絵があった。絵の前で立ち止まってしまい、いつまでも引き込まれるようにその絵を見つめ続けた。ギュスターヴ・カイユボットの『ジュヌヴ …

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アダムの死をめぐって①

アダムは930歳で死んだそうだ。 アダムという名前はヘブライ語の「土」(アダマー)に由来していて、その名の通り、最後は彼自身がそこから作られたところの「土」にかえっていった。アダマー(土)に由来するア …

プロフィール

雨の公園 プロフィール

はじめて絵を描いた記憶は幼稚園の冬休み。カエルを描いて園に持っていくと、友だちから「雨の公園くん、お正月のお絵描きなのにカエルを描いてる」と笑われたので鮮明に覚えている。

高校の時つけ始めた日記の端に好きなアイドルの絵を鉛筆で描きうつす。これが私にとって“線”でなく“陰影”のみで描いたはじめての鉛筆画となった。日記は大学に入る頃まで7冊ほど書き溜めた。

自分の入院の経験を生かして描いた漫画『文化祭の夜』が小学館ヤングサンデーの新人増刊号の最終選考に残るもギリギリ掲載には至らず。生まれてはじめて漫画雑誌の「編集者」と呼ばれる人と出会う。

大手出版社から絵本を2冊商業出版するも絵で食べていくことは断念する。時を同じくし、大阪ミナミの戎橋(通称「ひっかけ橋)で路上似顔絵を描きながら大学院で旧約聖書の『ヨブ記』の解釈についての論文を書き、修士号を取得する。

☆ ☆ ☆

好きな絵かきさん
ギュスターヴ・カイユボット、紡木たく

好きな作家、文筆家
室生犀星、藤木正三

人物

風景その他