宗教哲学

アダムの死をめぐって①

投稿日:2020年10月27日 更新日:

アダムは930歳で死んだそうだ。

アダムという名前はヘブライ語の「土」(アダマー)に由来していて、その名の通り、最後は彼自身がそこから作られたところの「土」にかえっていった。アダマー(土)に由来するアダムという名にはもともと「人」という意味があって――それが後に彼自身の名になった――人はやがて死んで土にかえるという物語を、人(アダム)であるわたしもやっぱり共有している。

それはともかく、アダムが土にかえる――すなわち死ぬ――ことになったのは、彼が神から決して食べるなと命じられていた「善悪の知識の木」から、その実を取って食べたことによる、と一般的に理解されている。実際この物語の中で、アダムは神から次のように言い渡される。「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。(中略)お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」(創世記3:17-19)。こうして、人(アダム)が永遠には生きられない理由を、人が神の命令をないがしろにした(神よりも自分を上位あるいは中心に据えようとした)ことに根拠づけているのがキリスト教信仰である(これを「原罪」という)。

しかし、この物語を何度も読んでいて最近ふと疑問に思ったことがある。それは、アダムが神から「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創2:16-17)と命じられたその当時、本当にアダムは「死なない」存在であったのか、という疑問である。あの実を口にするまで、アダムは本当に「死なない」存在だったのだろうか。

アダムが食べたのは「善悪の知識の木」の実である。アダムと女(当時はまだ名前がなかった)がそれを食べると、「二人の目が開け、自分たちが裸であることを知」った。繰り返すが、彼らが「善悪の知識の木」の実を食べ、目が開けてはじめてわかったことは「自分が裸である」という事実であった。それだけではない。彼らの目には、自分が裸であるという事実が「恥ずかしいこと」として映ったのであった。これはまことに深い問題を示唆している。

つまり、アダムと女は、それまでも裸であった。彼らは創造のはじめ、もともと服を着ていたわけでもなければ、肉体を持たない「精神」だけで存在していたわけでもない(アダムは「土」、女は「あばら骨」という極めて物質的な素材から作られている)。彼らはそれまでも裸で存在していたのだが、それは当然のことであり、裸であるということが問題とはならなかったのである。

それは小さい子どもが裸で表を走り回っていても何の恥ずかしさも感じないことと同じであろう。小さい子は自分が裸であることは目には見えていてもそれが何らかの意味を持って意識に上ることはない。そしてそれは、肉体の面のみならず、心の内面の問題においても同じである。子どもは――それが3歳の頃か4歳の頃かは知らないが――少し成長したころに、他人に語りまた見せている自分と、自分の心の中にある考えや気持ちが必ずしも一致しない(すなわち、他者の目には隠している自分がいる)ということを意識するようになる。

わたし自身にもこんな経験がある。
あれは幼稚園に通い始めた4歳ころだったと思う。友だちの仲間に入れてもらえず一人ぼっちで園庭の砂場にいたわたしは、先生から「幼稚園楽しい?」と尋ねられた。わたしはその瞬間のことを、今でも園庭の風景や空の色とともに鮮明に思い出すことができる。なぜならその時わたしは、先生にうそをついたからだ。本当は幼稚園なんてまったく楽しくはなかったのに、わたしは「楽しい」と答えた。そして答えた瞬間、先生に見せているわたしは本当のわたしではない、ということを強く意識したのである。もし「楽しくない」と本当のことを言っていれば、先生が悲しむような気がしたのかもしれないし、友だちと楽しく過ごせない自分を認めることが嫌だったのかもしれない。本当のことを言えなかった理由はいくつか思い浮かぶが、それをはっきり明確に述べることはできない。ただはっきりと言えることは、その時のわたしは、自分が一人ぼっちでいて、幼稚園が楽しいと思えない自分を「悪い自分」「恥ずかしい自分」として認識していたということである。だから、やさしい、大好きな先生に、そういう自分を知られたくなかったのである。あの日私は先生に本当の自分を隠そうとした。

話をアダムに戻そう。
知識のついたアダムと女に明らかになったことは、「自分が裸である」という事態であり、同時に「裸であることは恥ずかしい」という問題意識であった。「善悪の知識の木」は、彼らに、自分の裸すなわち「素の自分」「本当の自分」「偽らざる自分」は他者の目に触れさせられない、恥ずかしい、後ろめたい存在なのだという自覚をもたらした。だから彼らはイチジクの葉で自分の腰を覆ったのだった。

大事なことは、裸でなかったものが裸になった、というのはないということだ。そうではなく、裸であることがある日を境に恥ずかしくなったということである。もともと裸であったという状況が、あらたに「問題として認識される」ようになったということである。これが「善悪の知識の木」が人間にもたらした「他者の目」の問題である。

そして本題はここからである。

つまり、アダムと女は、そのように「食べるな」と命じられていた実を食べた――すなわち神よりも自分を優先させた――ことによって、死ななかった存在から、あらたに死ぬことを運命づけられた存在に変えられたのではなく、もともと死ぬことなど問題でなかった存在が、善悪の知識の木の実を食べたことによって「死ぬ」ということが大問題として自分の中に意識される存在になったということである。ここで「死」の問題は、究極的には死ぬか死なないかではなく、神に対して隠し事をした自分がいるかいないか、という問題として理解されるようになる。

         (「アダムの死をめぐって②」につづく)

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