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家の3軒となりに駄菓子屋があった。竹トンボやメンコやリリアンなどが置いてあり、甘辛いタレをたっぷり付けた「いか串」も、丸くて大きな蓋のついたプラスチックのケースに入っていた。何本も束ねたひもの先にいろ …

ひっかけ橋で絵の修業 ②

グリコの看板が見下ろす「ひっかけ橋」で、わたしは絵を描き始めた。いや、正確に言うと「描き始めた」のではなく、それまでに描き溜めていた鉛筆画を橋の上に並べて「売り始めた」のだった。 値段のつけようがない …

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アダムの死をめぐって①

アダムは930歳で死んだそうだ。 アダムという名前はヘブライ語の「土」(アダマー)に由来していて、その名の通り、最後は彼自身がそこから作られたところの「土」にかえっていった。アダマー(土)に由来するア …

印象 雨の鉛筆画

1996年、奈良県立美術館で開催された「印象派の巨匠展」で出会った一枚の絵があった。絵の前で立ち止まってしまい、いつまでも引き込まれるようにその絵を見つめ続けた。ギュスターヴ・カイユボットの『ジュヌヴ …

傘を失くした。

夢の話なのか、現実に体験した出来事なのか。 その日の記憶さえ雨の中に溶けていきそうだ。 しかし、私の心には悲しみだけが確かな感情として残っている。 小学生の私は電車の中で傘を置き忘れた。降りてから気づ …

プロフィール

雨の公園 プロフィール

はじめて絵を描いた記憶は幼稚園の冬休み。カエルを描いて園に持っていくと、友だちから「雨の公園くん、お正月のお絵描きなのにカエルを描いてる」と笑われたので鮮明に覚えている。

高校の時つけ始めた日記の端に好きなアイドルの絵を鉛筆で描きうつす。これが私にとって“線”でなく“陰影”のみで描いたはじめての鉛筆画となった。日記は大学に入る頃まで7冊ほど書き溜めた。

自分の入院の経験を生かして描いた漫画『文化祭の夜』が小学館ヤングサンデーの新人増刊号の最終選考に残るもギリギリ掲載には至らず。生まれてはじめて漫画雑誌の「編集者」と呼ばれる人と出会う。

大手出版社から絵本を2冊商業出版するも絵で食べていくことは断念する。時を同じくし、大阪ミナミの戎橋(通称「ひっかけ橋)で路上似顔絵を描きながら大学院で旧約聖書の『ヨブ記』の解釈についての論文を書き、修士号を取得する。

☆ ☆ ☆

好きな絵かきさん
ギュスターヴ・カイユボット、紡木たく

好きな作家、文筆家
室生犀星、藤木正三

人物

風景その他