宗教哲学

マヨネーズを買って日が暮れる

投稿日:2020年6月6日 更新日:

夕暮れのあぜ道――。

小さい女の子がお父さんと手をつないで帰っていく。

遠くに小さく見える二人の後ろ姿。その向こうにはこんもりとした低い山。そのふもとの鳥居。どこまでもノスタルジックな里山の夕景――。

女の子のもう片方の手には買い物かご。どうやら女の子はお父さんと手をつなぎ、近所のスーパーに歩いて買い物にでも行ってたみたい。二人の背中に夕陽が当たり、あたり一面セピア色に染まっていく。

画面は突然女の子が提げている買い物かごの中を映す。そこには一本のマヨネーズが・・・。そこに女の子の声が聞こえてくる――。

「マヨネーズを買って今日も日が暮れる・・・。」

実はこれ、昔に放映されたマヨネーズ会社のテレビCMなのだ。

話は、その日お父さんと二人でマヨネーズを買いに行ったというだけの、なんということもない夕暮れの出来事である。取り立てて何にもなかった一日。何もしなかった一日。でも日が暮れるころになって、やっとお父さんと一緒にマヨネーズを買いにでかけた。

たったそれだけの一日。

でもそのことがすごく楽しかった。うれしかった。「マヨネーズを買って、今日も日が暮れる」というコピーからそんな彼女の弾けるような心の躍動が伝わってくる。そしてきっと自分の子ども時代にもあったような気がする。そういう、ちょっとしたことが子どもだった自分にはすごくうれしかったり、楽しかったりしたことが。。

最近になってこのCMを思い出し、どうしてももう一度観たくなってYouTubeなどを検索しているが一向に見つからない。それは、過ぎ去ってしまった懐かしい過去を探し求めても、そんなものはもはやどこにも存在しないということなのだろうか。

あの小さな女の子もすっかり大人になって、今はどこにもいないのと同じように――。

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