宗教哲学

喪失

投稿日:2020年6月10日 更新日:

月命日が来るたび、失くしたわが子の墓参りを何十年も続けてきたという男性に出会った。もう80代になっていただろうか。また、別の70代くらいの女性は、片道1時間ほどかかる道のりを毎日歩き、亡き夫の墓掃除とお参りをして、帰りには行きつけの喫茶店でモーニングを食べて帰って来るという生活を、もう10年近く続けているという話をしてくれた。

その人たちの話を聞いた後、一人になって思ったことは、人はもうこの世にはいない誰かのために生きている、あるいは亡くなった人に支えられて生きている、そういう言い方ができるのではないかということだった。

ずいぶん前に新聞で読んだ、神戸の震災の時に息子を失った一人の牧師のことを思い出した。息子はまだ36歳だったらしい。

最愛の息子を失った牧師はそれでも町を奔走し、家を失った人に教会に避難してくださいと呼びかけた。「牧師さんもおつらいでしょうに」と気遣ってくれる周囲の人に、「私は大丈夫ですよ」と答えながら、ただ涙だけがこぼれたという。――息子には天国でまた会える――その信仰だけが支えだった。

読売新聞 2004年1月16日 
小島十二牧師夫妻の記事

9年が経ち(2004年の記事)、町も少しずつ復興し、気づけば自分も年を取った。あとは若い牧師に任せ、自分は教会を退くことに。これからは妻と一緒に習い始めた腹話術で教会や福祉施設を回り、小さい子どもたちに神さまのお話をして暮らしていくという。人形には亡くなった息子と同じ「けんちゃん」という名前をつけた。

いつか、けんちゃんと会える日までそうやって生きていく――。

記事はそう結んでいた。

「愛する人を失った悲しみを癒せるものはない。なぜなら、その悲しみを癒せるのは愛するその人自身が返ってくることだけだからだ」という言葉を関西カウンセリング協会の発行する小冊子で読んだことがある。

それでもなお、この牧師さんの記事や、また月命日にお墓参りを続けてきた男性、そして毎日毎日夫の墓参りをして10年が経とうとしている女性の話を聞いた時、そこには、悲しみを包み込んだ温かみというか、何か穏やかさのようなものを受け取らずにはいられなかった。それは悲しみのすごく深いところから、少しずつこの道を歩き続けてきたということなんだろうと思う。

お墓を掃除して、線香立てて、手を合わせて、そして帰りに行きつけの喫茶店でモーニングを食べる。そういうふうに私も生きることができたらと思う。

同じころ、結婚したばかりの娘を看取ったご両親に出会った。お父さんは、毎週片道2時間くらいかけて、電車に乗り、バスに揺られて、ずっと娘の墓参りに出かけている。お弁当とCDラジカセを持って――。お墓を掃除したらしばらくそこに座って、おにぎりを食べながら、娘の好きだった音楽を聞いているという。

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